優生思想とは:現代社会における影響と課題
優生思想とは、人類の遺伝的特性を改善することを目指す考え方です。この思想は、社会に深い影響を与え、倫理的な議論を引き起こしてきました。優生思想の起源や発展、そしてその影響について理解することは、現代社会の課題を考える上で重要です。
この記事では、優生思想の基本的な考え方を簡単に説明します。また、優生思想が社会に与えた影響や、科学技術との関係について探ります。さらに、現代社会における優生思想の課題を取り上げ、この複雑な話題について深く掘り下げていきます。
優生思想の基本的考え方
優生思想は、人類の遺伝的特性を改善することを目指す考え方です。この思想の基本的な考え方は、フランシス・ゴールトンによって提唱されました[1]。優生思想の核心は、人間を「優れた人間」と「劣った人間」に区別し、「劣った人間」を社会から排除することを正当化する考え方です[2]。
「適者生存」の誤った解釈
優生思想の基礎となる考え方の一つは、ダーウィンの自然選択理論の誤った解釈です。ゴールトンは、人間社会にも「適者生存」の原理が適用されるべきだと考えました[1]。しかし、この解釈は進化生物学の本質を誤解したものでした。
人間の価値の序列化
優生思想は、人間の価値を序列化します。この考え方によれば、特定の特性や属性(人種、肌の色、民族、宗教など)に基づいて人間の価値が判断されます[3]。これは、社会的偏見や差別を正当化する根拠として使われてきました。
社会効率性の追求
優生思想は、社会の効率性を追求するという名目で、「劣った」とされる人々を排除することを正当化します[2]。この考え方は、障害者や社会的弱者を「社会の負担」とみなし、彼らの存在価値を否定することにつながりました[3]。
優生思想は、様々な政治体制の下で受け入れられ、世界中で影響を及ぼしました[4]。しかし、この思想は人間の多様性を無視し、倫理的に深刻な問題を引き起こしてきました。現代社会では、優生思想の危険性を認識し、すべての人間の尊厳と価値を尊重する必要があります。
優生思想が社会に与えた影響
優生法の制定と実施
優生思想は、日本社会に深刻な影響を与えました。1940年に「国民優生法」が制定され、遺伝性疾患の断種が法制化されました[5]。しかし、戦時下の「産めよ増やせよ」政策により、その執行は一時停止されました。
戦後、1948年に「優生保護法」が制定され、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的として、優生手術と人工妊娠中絶が規定されました[5]。この法律の下で、約1万6500人が強制的に不妊手術を受けさせられたとされています[3]。
マイノリティへの差別
優生思想は、様々なマイノリティグループに対する差別を正当化するために利用されました。特に、障害者、ハンセン病患者、被差別部落の人々が標的となりました。
ハンセン病患者は、感染力が非常に弱い疾患であるにもかかわらず、遺伝病とされ、強制隔離、強制断種、強制不妊手術、強制中絶の対象となりました[3]。また、被差別部落の人々も、長年にわたり「劣った集団」として扱われてきました[3]。
優生思想の大衆化
優生思想は、教育を通じて一般社会にも浸透していきました。教科書には「遺伝性疾患の人との結婚は忌避すべき」と書かれ、そのような指導がなされました[6]。これにより、障害者や遺伝性疾患を持つ人々に対する偏見や差別が助長されました。
優生思想の影響は現在も残っており、「胎児に障害があったら中絶した方がいい」、「遺伝性疾患のある人は自然妊娠してはいけない」という新たな形の優生思想が再燃しています[6]。このような考え方は、障害者の権利や尊厳を脅かし、社会の多様性を損なう危険性があります。
優生思想と科学技術の関係
優生思想は、科学技術の発展と密接に関連しながら、社会に大きな影響を与えてきました。特に遺伝学や生殖医療技術の進歩は、優生思想の実践に新たな可能性を開きました。
遺伝学の発展と誤用
19世紀後半から20世紀にかけて、遺伝学は急速に発展しました。この進歩は、優生学の推進力となりました[7]。遺伝学者たちは、人類を遺伝的に改良するという優生運動の目標が技術的に実現可能であると考え、運動に参加しました[4]。
多くの著名な遺伝学者が、精神欠陥に関するメンデルの劣性遺伝説を受け入れ、それを裏付けていました[4]。1920~30年代には、ほとんど全ての遺伝学者が、優生学への反対者も含め、精神薄弱者が繁殖しないようにすべきと考えていたとされています[4]。
優生学の疑似科学化
優生学は、科学と非科学の境界線上にあり、先入観のある政治的思考や、人種・階級の優劣の仮定に基づいた疑似科学になる危険にさらされてきました[4]。しかし、優生学を完全に科学の枠内に収めることは困難でした。
優生学は、19世紀後半~20世紀における当時最先端科学の遺伝学と統計学を推進力にしたものでした[7]。回帰分析や、相関、分散分析やカイ二乗検定、p値の有意差判定など、現代の定量的な解析に欠かせない統計手法と概念、さらに現代の集団遺伝学やゲノム解析の基礎理論も、優生学研究の中で生み出されたものです[7]。
生殖医療技術の進歩
近年、生殖医療技術の進歩により、優生思想が新たな形で再燃する懸念が生じています。新型出生前診断や着床前診断などの技術が広がりつつあり[8]、これらの技術が障害や病気のある子どもの命の選別につながる可能性があります[9]。
法律の中に「心身ともに健やかに生まれ」という文言を入れることは、優生政策につながる危険性があると指摘されています[8]。このような文言は、一見すると子どもの健康を願うものに見えますが、障害のある当事者たちからは、命に優劣をつける優生思想を引き起こしかねないと懸念されています[9]。
優生思想の現代的課題
優生思想は、現代社会においても様々な形で存在し、新たな課題を生み出しています。生殖医療技術の進歩や遺伝子診断の発展により、「生命の選別」という新たな問題が浮上しています[10]。
遺伝情報の取り扱い
ヒトゲノム解析の進展により、個人の遺伝情報を詳細に知ることが可能になりました。これにより、遺伝子診断や遺伝子治療の実用化が進んでいます[11]。しかし、この技術の進歩は、個人レベルでの「優生学」につながる可能性があります[11]。遺伝相談の枠組みでは、クライアントの遺伝的リスクの発見と査定に限定して遺伝情報を利用すべきであり、それ以外の遺伝的性質についての知識は対象外とすべきです[11]。
障害者の権利保障
優生思想は、障害者の権利や尊厳を脅かす危険性があります。全日本ろうあ連盟は、「きこえない人は能力が低い」という差別的な考えに対して強く反対しています[12]。また、国連障害者権利委員会は日本政府に対し、障害者が他者と対等であり人権の主体であると認識し、すべての障害者関連の国内法制及び政策を障害者権利条約と調和させるよう勧告しています[12]。
生命の選別に関する倫理
出生前診断や着床前診断などの技術の発展により、胎児の生まれつきの病気や障害を出産前に知ることが可能になりました[10]。これにより、診断結果によっては中絶を選択するケースも増えています。この状況は、新たな形の優生思想として捉えられることがあります[10]。
出生前診断の利用に関しては、母子の健康保持に役立つ場合にのみ倫理的に許容されるべきです[11]。単に性別のような遺伝的性質を確認するためだけの出生前診断は正当化できません[11]。また、遺伝性疾患による人工妊娠中絶の決定は、クライアント、医師、カウンセラーの間の対話に基づく「意思決定システム」を通じて行われるべきです[11]。
これらの課題に取り組むためには、優生思想の根絶や、すべての人の尊厳と権利を保障する社会の実現に向けた継続的な努力が必要です[12]。
結論
優生思想の歴史と現代社会への影響を踏まえると、この考え方が持つ危険性と課題が明らかになります。科学技術の進歩は、生命の選別に関する新たな倫理的問題を引き起こしています。これらの課題に取り組むには、すべての人の尊厳と権利を守る社会づくりが欠かせません。
今後も、優生思想の問題点を認識し、多様性を尊重する社会の実現に向けて努力を続けることが大切です。遺伝情報の扱いや障害者の権利保障など、様々な課題に対して、倫理的な議論を重ね、バランスの取れた解決策を見出していく必要があります。このプロセスを通じて、より公平で包括的な社会の実現に近づくことができるでしょう。
参考文献
[1] – https://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/kohshima/Study/abstract/oode99.html
[2] – https://journal.ridilover.jp/issues/575e7697c009
[3] – https://www.town.nichinan.lg.jp/material/files/group/2/syochikimatomesiryo.pdf
[4] – https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_rchome.nsf/html/rchome/Shiryo/310yuusei_houkokusho_3-1.pdf/$File/310yuusei_houkokusho_3-1.pdf
[5] – https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/record/2000003/files/kokuchiiki18_03_yasuda_rihito.pdf
[6] – https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2023/03/post-201953.html
[7] – http://www.cneas.tohoku.ac.jp/content/files/news/jp/news97.pdf
[8] – https://www.asahi.com/articles/ASNCW6GJDNCWUTFK019.html
[9] – https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20201230/pol/00m/010/002000c
[10] – https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id245.html
[11] – http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/wp/genome/genome96yamamoto/
[12] – https://www.jfd.or.jp/info/2023/2023rouataikai/tokubetsu_ketsugi.pdf
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